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2011年03月19日

「家族」と「家族」

宮城県東松島市在住の妹家族が地震で被災した。
地震直後「長女と外出中、スーパーから帰るところ」。
15時15分「スーパーの屋上に避難した」。
それが最後のメールとなったまま、安否不明。

住居のある場所は、松林を隔ててその向こうは海岸線。
その地区でもっとも海に近い場所だった。
家には、義理の両親が居たと思われる。

長男は、中学校ではないかと思われた。
そして妹の夫は、被災場所不明・・・。

すべてが絶望的だった。

翌日の土曜日、仙石線が「く」の時に曲がって横たわる映像が映った。
それは、まさに隣の駅付近だった。
周囲の光景は、すべてを失い一面、泥にまみれていた。

3日目の朝、日曜日の報道はさらに追い打ちをかけた。
その地区で「200〜300の遺体を収容」。

その一方で、同時に「十数名の生存者を確認」とも伝えられた。
一縷の望みが見え始めた。
しかし、テレビに映し出される映像は、どれも悲惨を極め、
次第に耐え難いものになっていった。
津波後の航空写真がインターネットに掲載された。
住居のあった場所は、あとかたもなく建物が消え去り、
ただ水たまりができていた・・・。

4日目〜5日目にかけて、
さまざまな情報をたぐり寄せた。
パーソンファインダーに登録し、
安否情報を求めるその地区限定の掲示板に氏名を掲載した。
そして、いくつかのことがわかってきた。

長男が通う中学校は卒業式の日で、
生徒が学校にいる時間に地震に襲われたこと。
そして、先生と生徒が上階に避難したこと。
それでも津波の水が足元まで来たこと。
一夜をそこで過ごし、翌日、高台にある小学校に
全員で歩いて避難したこと。

長男は、無事かもしれない・・・。

妹と長女がどこにいた可能性が高いかを教えてくれたのは、
パーソンファインダーで長女の安否を心配してくれた友達からの連絡だった。
「その日は、3時に学校に行くことになっていたらしい」と。
それで出かけていたのだ。
3時に学校にいたとすると、その近くのスーパーは・・・。
3ヶ所ほどに絞られた。
「石巻イオンの屋上に600名が避難」という報道が流れた。
それも候補のひとつであった。
しかし、それ以外のスーパーの状況は一切伝えられない・・・。

ユーチューブに長男が避難している小学校付近の動画が掲載された。
すさまじい勢いの津波に言葉を失った。
撮影者の足元にも水が押し寄せている。
少しずつ、覚悟を決めはじめていた・・・。

「避難所名簿共有サービス」がはじまった。
避難している人達の氏名一覧が写真で掲載されはじめた。
しかし、それも避難先がわからなければ、
すべてを閲覧しなければならないことになる。
しかも、全ての避難先の名簿が掲載されているわけではない。

6日目、午前10時。
長男が避難していた小学校の名簿が掲載された。
1枚目。2枚目・・・。
10枚目・・・「あった・・・」。
ひとり声に出してつぶやいていた。
そこには、妹の夫、長男、義理の両親の名前があった。
無事だった・・・。
しかし、まだ、妹と長女の安否は不明のままだ。

午前10時30分。
妹の夫から電話が来た。
「全員、無事です」
安堵した。
全員・・・ということは・・・
その避難所にはいないものの、妹と長女の無事も確認されたという。

翌日、家族は、小学校から別の避難所に移動した。
その日の昼頃、あらたに名簿が掲載された。
そこには、妹と長女を含む家族6名の名前があった。

こちらの母親が何度もひとりつぶやく「奇跡、だよね・・・」

少しずつ覚悟を決めはじめていたという。
その時が来ても落胆することがないように、
少しずつ、あきらめる気持ちを用意していたらしい。

17日、妹本人から電話があった。
声はしっかりしたものだったという。
幸い、その避難所は比較的環境が良いところだったらしい。
「いつでも迎えにいく。こちらにくればいい」という誘いに、
本人は戸惑ったようだったという。
「今は、考えていない」と答えたらしい。

別々の場所で被災した家族が、
幸いに全員無事で、何日かぶりに避難所で再会した。
そこには、離れることなど想像できない結びつきが芽生えているのだと思う。
「家族」と「家族」。
結びつきは変化する。
しかし、明日につながるものなら、
大切にすべき場所に、迷わずいるべきだと思う。


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この記事へのコメント
まだ安否不明の方がたくさんいます。
残念ながら命を失った方もたくさんいます。
非常に苦しい環境の避難所もあります。
よくわかっています。
胸を痛めています。

幸いに命が救われた「家族」には、強く生きてもらいたいと思います。
浜松から被災地までは遠く、援助も微力です。
それでも、何もしないより、何かできることを少しでもしていきたいと思っています。
本日、駅周辺では、義援金集めや支援物資の受け入れが行われていました。
是非、届けてほしいと思います。

浜松まつりをはじめ、さまざまなイベントが中止となっています。
政令指定都市である浜松の責任と役割が求められているのかもしれません。
答えは、ひとつではないと思います。
大切なことは、それぞれの「想い」とそれに基づいた「行動」なのではないかと感じています。
Posted by murai at 2011年03月19日 18:58
私の友人も被災した一人です。 会社が仙台市若林区にあったため、津波は工場の目の前まで来たそうです。 一昨日からは、電気と水道も使えるようになったので、やっと片付けができるようになったとのこと。 石巻の営業所は、その存在すらわからない、スタッフの安否も確認できないでいるとのことでした。
東海地震がいつ発生するかわからない静岡県・浜松市に生活する僕たちにとっては、同じ事態がわが身にいつ降りかかってくるのかわかりません。 うちの会社でも義援金の募金を始めました。
これからも、何ができるか考えながら、できることを一つひとつ始めていきたいと思います。

   僕らに何ができるんだろう?
Posted by 塚田@もと… at 2011年03月20日 09:51
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